2011年01月12日

チロルは虹の橋を渡る―お別れの日

チロの亡骸をを荼毘に付したのは11月23日だった。
その日は休日で、比較的車の多い日だった、そして風の強い寒い日だった。家の近所の公園には子供たちがいつもより多かった。

葬儀は3時からで愛ペットエンジェルリングさんの訪問時間は2時半頃ということになっていたので、その頃には全て準備し終えていなければならなかった。
朝から花屋に行って、チロに供える花を買った。赤いバラの花を数本、小さくて可愛いピンクのミニバラと、ガーベラの花を供えてやると、その愛らしさにまた涙した。一緒に燃え尽きてしまうのだが、可愛らしい花たちがチロを囲んでくれているその様はまるで天国のようだった。もちろん、天国にチロは行ったのだ。

二時半頃に、電話があり、すぐに愛ペットエンジェルリングのNさんという方が来られた。一通り説明してくださって、小さなお数珠を頂き、小さなチロの手にはめてやる。とても可愛いお数珠で、「よかったね、チロ、可愛いね可愛いね」と声を掛けながらはめてやった。

Nさんは、ペットのことを、「お子様」と呼んで下さる。まるで子供を見送るような悲しみの中にいるので、この言葉が身に沁みた。送る者たちにとって言葉がどれほど重いものか、を知っておられるように思えた。

そして「天使のおくるみ」を頂いた。愛猫を送るのは初めてのことだし、こういう物を用意できていないので大変有難かった。とても綺麗で可愛いレースの付いた真っ白なおくるみ、チロに着せてやって「わあ可愛いね、チロ、良かったね、良かったね」とデジカメに残した。涙がこぼれてきた。

それからそのおくるみを着せたチロの亡骸を抱き、火葬車へ。私たちには車がないので本来ならムリなのだが、もし可能なら一緒に火葬車まで行きたい、という希望をNさんは叶えてくださった。

火葬車は土手の路傍に停められた。風のきつい日で、車の中で待つように言われる。
火葬車は、火葬炉が車の後ろに備え付けられていて、しかも外からは全く分からないようになっている。その前には焼香台があって、最後のお別れを惜しむようになっている。
準備が整い、車を降りてチロとの最後の別れを惜しんだ。チロと一緒にミニバラとガーベラを入れてやった(赤いバラは成分の関係で入れないほうがいいということだった)。このミニバラは、今でもチロの記念に写真と共に供えるようにしている。

「チロ…チロ、ありがとうね。また会おうね、おねえちゃんをきっと見つけてね。おねえちゃんも絶対チロをみつけてみせるからね。また来てね、お姉ちゃんのこと、忘れないで…」

炉にチロの亡骸が入れられる前に、何度もちょっと待って…と呼び止めてしまった。その度、迷惑そうな顔など一切せず、穏やかに応対下さるNさんだった。

チロの亡骸とお別れをすると、一時間近くだったか、車の中で待機した。Nさんはずっと外におられたようだった。お寒かったであろうに、自分たちが無理を言ったばかりに…気が咎めた。

終わって遺骨を拾うというときに、場所を移動した。土手の横で車を停めてお骨を拾っている様を見られるのははばかれる、ということで、近くの有料パーキングに車を停めて下さった。

お骨になってしまったチロ、燃え尽きてしまった亡骸の後を見る。ここまで来てしまったら私も、いよいよ肉体は魂の器でしかないと確信せざるを得ない。伯母の時も父の時もそうだった。あとは、肉体のぬくもりのない寂しさ、喪失感との戦いが来る事は分かっている。

お骨を拾いながら、これはどこの骨であるかを聞く。ひとつ気に掛かったのは、頭のあたりの焦げた骨で、これは血液の塊ということだった。チロの最期に、脳出血があったのか?血圧が上がっていたのではないか?そのせいではないか?非常に気になった。そこまで可哀想な事になってしまっていたのか…チロ、私は何も知らなかった、何もしてあげられなかった、本当にごめんね…
Nさんがお手伝い下さり、お骨を骨壷に収め、それを綺麗な箱に入れて頂いた。胸に抱えまた車に乗り込み家の近くまで送って頂く。

帰りにNさんに聞いた;私はクリスチャンなので、これからどういう風にしてやればいいのか。そもそもこういう方法で送ってやって良かったのかどうか。しかしクリスチャンは私だけなのだから、チロ自身、あるいは他の家族に自分の信仰を押し付けて良いものかどうか。
すると、そもそも火葬という形で送ることもないのでしょうが、と前置きしながらもNさんは答えられた、こちらがしてあげたいと思うことをしてあげるのが一番の供養なんじゃないか、と。確かに難しい問題ですが…と。

その答は信頼できるものだった。私の信仰にも確信が持てた。
私は父を送った時も家に仏様を迎えた時も自分の信仰を貫いたつもりで来たし、今も主イエス・キリストの父なる神しか私には神はいない。仏前で皆がお経を聞いている時も、我が主に祈る(しかし他の人の信仰を敵対する気持ちは無い、むしろ人の宗教は敬うべきと考える)。これからもそうだ。
チロのこと、父のこと、逝ってしまった者たちに、自分に何が出来るか…何をしてやれるか、何をしてやりたいのか。私のやり方で供養して行きたいと思う。


ご自分の経験も時折話して下さったり、19年近く一緒にいたチロが居なくなって、「それは寂しくなりますね…」と同情下さったNさん、本当にありがとうございました。

posted by ななみさん | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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